NEWS & INFORMATION

新年のご挨拶と、引越しのご案内

新年明けましておめでとうございます。旧暦では2/14が新年だそうですので、遅ればせながらこの場をお借りして皆さんにご挨拶申し上げます。

又、これも書面でなくて申し訳ありませんが、ご報告です。

事務所を引っ越しました。

まだ住所変更等の書類(勿論メールはそのままです)、及び事務所内整理もできていませんが、新事務所は南側に公園があるため環境としてはなかなかです。

時代(社会)はまだまだ不景気の連鎖が続いており、建築界の末端に位置する弊アトリエも逆風に苦しんでおりますが、それに屈せず「建築」作りに邁進する決意です。

改めて、今後とも宜しくお願い致します。

チェンジ

オバマの「チェンジ」に清々しい感動を感じた時、そう遠くない日に、まさか日本でそれに優とも劣らない「チェンジ」を体験しようとは思わなかった。正確に言うと政党的なチェンジそのものはともかく、政治家といわれる人達の真摯な姿勢によって国民に影響力を与え得るのではないか、と感じさせたということである。

石橋をたたいて渡る、もしくはたたいて渡らない、的な保守の国は、チェンジへの危惧を抱えていた。それが見事に、半ば「とりあえず渡ってから考える」的な期待であったものを、はるかに上回る船出を迎えたと言えようか。その雰囲気が清々しさを与えるのだろう。勿論苦難も待ち構えている、オバマですらも苦しんでいるところである。くじけず頑張って欲しい。

明治維新以来の革新かもしれないこの「チェンジ」制度がこの国に定着することで、村社会的な日本国であっても、風通しの良さを身に着けることで、生きる喜び、期待を持てる国になってほしい。

願わくば建築界においても「チェンジ」によって期待を感じれるようになりたいものである。先の議員がここでは一人一人の建築家であろう。少なくとも私自信は、人々に生きる喜びを与えれるような建築を作りたいと思っている。

Bahama コンペ

カリブ海のキューバの近くにバハマ諸島があります。そこでの住宅コンペに参加しました。ただ住宅といっても日本的な感覚を遥かに越えていました。プライベートビーチもある1万平米を越える広大な敷地に、述べ床面積約250坪ほどの住宅(邸宅)を計画すると言うもです。実はこの結果のいい報告が出来ればと思っていましたが残念ながら落選でした。手伝ってくれた近大の4年生に報告を兼ねてこの場でお礼を申し上げます。「有難う、またやろうね。」

リホームでパッシブソーラーは可能?

弊社の設計しました「AUT・AUT」という住宅がありますが、それをこの度リホームすることになりました。そこで、この家は地下室から吹き抜けが2階まで連なるというぐらい空間が大きいため、パッシブソーラーによる循環システムを一度考えてみようと思うのです。勿論こちらも調べているのですが、どなたか良い情報(経験工務店等)をお持ちの方がおられたらご連絡もらえたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。

老人力

「今日はいかないん?」、「ああ一仕事終わったら後から行くよ」。道端で出会った近所仲間が交わす日常の何気ない会話である。日当たりのいい日には、このほのぼの?した会話は今でも田舎なら聞こえて来そうである。村はずれの集会所にあるゲートボール場へ行く途中の場面である。なんとものどかな風景であり、みんな楽しそうに見える(見えた)のがうれしい。これは、子供の頃の記憶にある良き時代の田舎の風景である。いわゆるひと昔、いやふた昔前までは、年寄りから子供までいろんな世代の人々が一緒に、あるいは同じ空間で生きていた。

翻って現代、巷ではワンルーム老人専用マンションが流行っているが、そこに展開されているのは、利殖追及が命題であり、決して豊かな空間になっているとはいえないだろう。言葉は悪いが一種の詰め込みであろう。
片や、昔(1980年代だと思うが)「ライフイン京都」という若林さんの傑作があった。なんとも豪華なイメージを思い出すが、今にして思えばその後の豪華「老人ホーム系」のさきがけのような建築だった、前述のマンションとまったく違うのはめくるめく豪華さだ。それは現代ではホテルのロビーのような瀟洒な空間、としたイメージに移り変わってきているが、少なくとも老人のための施設には見えない。

この両極端な建築を必要とする社会を高度に発達した21世紀のわれわれは作ってしまったのである。

21世紀的合理社会では、どうしても社会の中のバランスが極端に崩れているとしか思えない。勿論単純に人口分布が崩れて来ていることも一因だが、根本は、いい意味のヒエラルキーの欠如が主な原因であろう。結果現代は、極端に世代混在のなくなっている社会なのである。いきおい、老人自体も自信と活力を失い、延命された寿命をもてあまし、抜け殻のような余生を送るだけになる。どうも発想が貧困なのか、僕にはそういうイメージしかわいてこない。これでいいのだろうか・・・。

老人はいい意味での「怪人」になるべきではないだろうか。怪人になって世の中を闊歩すればよい。勿論どうしようもない頑固老人は願い下げだが、若い社会からお払い箱のような生き方を受忍して欲しくない。せっかくの生命力を生き生きと生かして欲しい。

今年100歳だという「オスカーニーマイヤー」(ブラジル)が新作を作ったのだと言う。その建築がまたカッコいいときている。これはすごいなと言う感じのものである。村野さんの現役94歳をはるかに越えている、脅威のエネルギーである。この老人力いうか怪人ぶりは、少なくとも世の老人たちにに元気を与えてくれるのではないか。

メールアドレス変更の件

訂正です、すみません。
サーバーアカウントのメールアドレスは変わりましたが、
公には取得ドメインのアドレスですから、皆様の方からは現アドレス(archi@nitta-masaki.com)
のままでも結構のようです。

不慣れを露呈してしまいました。
お騒がせしました、申し訳ございません。

メールアドレス変更

新年明けましておめでとうございます。
皆様、本年もどうぞよろしくお願い致します。

早速ですがお知らせです。
このほどメールアドレスを変更しました。
2009,1/1よりメールを頂いた方にはご迷惑をおかけしました。お手数ですがもう一度下記の新アドレスに送信お願い致します。

また本日(1/13)以降、メールは下記の新アドレスになりますので、どうぞデータの変更をお願い致します。

<新アドレス>
masaki-nitta@dream.jp

以上皆様にはお手間をお掛け致しますがどうぞ宜しくお願い致します。

アウトサイダーアート

人間の三大欲として良く言われるものに食欲、睡眠欲、性欲がある。それらはみんな人類が長らくこの地球上に生存するための必需欲として「神」から備わったものだろう。しかし本当に人間が人間らしいのはその欲求から派生した習性によってである。音楽を奏でる、絵を描く、文字を読む、物を作る、その他、これらは基は生存のための意思,感覚の伝達技術が発達してきたものである。そして現代においてはこれら派生した「欲」の占有率が、先の生存にとっての三大欲を上回るほど、極端にそのパーセントを上げる人間まで出てきている。いわゆる「オタク」などはその典型で、子供、大人を問わないゲームオタクから、会社、仕事オタク、フィギアオタク、その他よろずオタクブームである。ただこれは何も否定的な現象ではなく、一生懸命の裏返しなのである。言い方が違うだけで、ノーベル賞学者などは「超オタク」でもある。何かに没頭すること、している様は美しいものである。その魅力の源泉とは何だろう、それは常時の意識を超える境地、言い換えればトランス状態かも知れない、それをを覗きたい、覗けるかも知れない未知の魅力があるからなのだ。ピカソ等の天才などもその典型であるが、ここで取り上げたいのはアウトサイダーアートである。スイス、フランスなどから、その魅力、秀逸さの発見、見直し、に火がついたようである。何回か作品を見たのだが確かにすばらしい。
その尽きないエネルギーの発散模様は到底一般人にはまねが出来ない。ではなぜそれが美しいのかと考えた時、一番に思いつくのは無垢さであろう、この言い方は問題があるのかもしれないが、誤解を恐れずに言う。これは本来的に人間に備わっていた遺伝子である。子供のときの絵などがその典型なのは指摘するまでもないが、驚異的なのはやはりその「ひたむきさの持続」なのであろう。これが現代人には決定的に欠けてきた。ゆえにそうした芸術に触れると、あるいは発見すると余計に感銘の度を増し、人間が発展するために身に着けてきた技術にまったく反比例する情熱に感じ入るのである。一言で言えば合理主義を完全に凌駕していることに感動するのだと思う。考えてみると、建築バカという言い方もあるくらいで、建築家も一種のオタクかもしれない。だとしたら、現代の建築も、人々に、合理主義を超えた感動を与えられるほどのものとして、またせめて、それを作って見せれる「超オタク」人であるべきではないのだろうか。

オバマ おめでとう

2008/11/4(日本時間5日)は歴史的な日になった。アメリカの第44代次期大統領にバラク・オバマ氏が決まったのである。おめでとう、心からお祝いを言いたい。これは1863年のリンカーンの「奴隷解放宣言」に続く革命的な出来事である。また、近いところでは、1960年の今頃だから48年前になるが、ジョンFケネディー以来の魅惑的なリーダーの出現である。2001の9/11で始まったアメリカの21世紀は暗い幕開けであった。それを振り払うべく、現ブッシュ大統領が、がむしゃらに中東に怒りを向けた7年間であった。その是非が問われて久しい、またそれに輪を掛けるように昨今の世界的経済危機への陥り。その元凶が当のアメリカ自身だとなれば、これはもう言い逃れは出来ない。ブッシュの政治手腕が問われるのである。そうした歴史的タイミングからして、まさに彗星のごとく現れたニューリーダーであり、合衆国ならずとも全世界から注目と期待を集める「新時代の希望」である。今回のこの経済危機が、くしくもアメリカ一国支配の世界縮図の崩壊契機になり、対話と協調を主軸とする新時代への枠組み「チェンジ」が求められる時代になったのである。なんとエキサイティングなことだろう。大いにオバマ氏に頑張ってもらいたい。唯一祈るような願いがある。前述のケネディー氏の45年前の悲劇はどうか繰り返さないで欲しい、「良識ある国家アメリカ(国民)」に望むばかりである。

ユートピア 続

禅問答のようだが、ではなぜユートピアを求めるのかと問われたら、何処にもないからだと答える。これは幾多の権力者たちが、不老不死の食物を求めて家臣たちをそれこそ地の果てまで探しに行かせた話に通じるものがある。かつては、地の果てである「ジパング」もその格好の対象として、かの秦の始皇帝の命を受けた除福も熊野灘に上陸したという。何処にもない不老不死の薬草探しに躍起なるのは、無限の可能性に満ちていた近世までの世界観ならまだしも、世界が有限で資源の保有能力までわかってしまった現代ではさすがに信じる人はいないが、かろうじて金やダイヤモンドのような黄金探しの夢が続いているぐらいである。しかしここが人間である、そうとわかっていてもどこかでそれを探し求めているのだ、夢・・。

ここで肝心な建築史上でのユートピアを見てみよう。建築の世界では、前述からのユートピア観とは少し違うが、もう一つのユートピア的至福である天へのあこがれがある。ヨーロッパのゴシック建築はまさに宗教的天への憧れであり、それを始めとして、宗教色は脱色したものの、高さへの憧れはあちらこちらで見られる。サンジミアーノしかり、ニューヨークしかり、現在のドバイしかりである。いわゆる「世界一」という至福へのあくなき探求(欲望)は連綿と続いている。もはや人類は宇宙にまでに飛んでしまっているというのに地上何メートルにこだわっているのである・・・。

しかし、断言するが、何処まで高く昇ろうともユートピアはないのである。そうした合理的な数値で測られるところにユートピアを求めなくとも、目くるめくような世界探しに明け暮れなくても、実は、人間の魂までも揺さぶるような至福の空間が「優れた建築」にはあるのである。何しろ空間は少なくとも3次元的には無限の表現の可能性を秘めているのだから・・・。
とすればユートピアはすぐ身近にあるのである。建築家の使命もそれを作り出すことにあるのである。少し神経を研ぎ澄ましてそうした見方で建築を観てもらいたい。もしかしてそれが見つけられたら、まさにそこがユートピアであろう・・・。



有限会社 新田正樹建築空間アトリエ
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