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神秘

田舎育ちということもあり、夜空が好きである。この冬久しぶりに夜空を見上げた。田舎の夜は何にもなくて、いやが応にも星空が目に入るだけなのだが・・・。そもそも都会でいると夜空、それとも星空を見上げるというような気分になかなかならないもの(自分だけなのか?)。都会では、人々はみんな坂本九の歌のようには生きていない。都会人は星空を見上げる人種ではないのである。以前作品を発表(桂馬の家)した時、「1メートル四方の自由」というコメントをつけたことがある。その時のモチベーションの問題はともかく、都市社会のアフターファイブならぬほっとする瞬間のことである。暗闇で獲得できる?少なくとも自分の周囲1メートル四方の、つかの間の自由と孤独の占有感の話だったと思う。これは確かに、物理的な夜の空間と、心の空間が共振するがゆえに成り立つ、都市ならではのひとつの神秘空間かも知れない。

ただ、いずれにしてもそこでは両足で大地に立つという感じではない。「世界の中心・・」でなくても良い、どこか空気のいい、小高いところで星空を見上げてほしい。じっと見つめているといつの間にか自分が無くなりそうである。きらめく星達の中でまず目にするのはやはり北斗七星であるが、最近感じるのは、その北斗七星の形がどうも変化しているのではということである。宇宙時間からしたら、たかが何十年なんかは一瞬のはずなのだが、なぜか動いてるのである(気のせいか)。何十光年もの距離で、気の遠くなるような時間の流れの中、宇宙は少しづつ動いている。恒星と恒星間というよりも太陽系と何々系というレベルで動いている。意識的に星間の闇にじーっと目を凝らすと、またも吸い込まれるようにそこにも無限空間が広がる。確かに宇宙は無限だ。その中のどこかに地球と同じ様な生物がいるかもしれない。とすれば、そこから宇宙規模でグーグル的逆照射すると地球に行き着き、日本に行き着き、大阪のどこそこ行き着き、その中の一人に行き着く。しかし、そこからさらにその人の心を覗くと、ブラックホールのごとくそこから「精神」という無限の神秘世界が広がるのである。すごい。ただ実際目に出来るのはその前段階の「現前」、世俗的な人間模様だけだが。この宇宙の壮大なスペクタルの中、究極には、人間(人類)の最高の「作為」が建築物(建造物)だとしたら、建築こそミクロな心の宇宙の神秘とメガマクロな宇宙の神秘をつなぐ「神秘のアンテナ」として厳然たる存在でありうるのだろう。果たして現代のモダニズムは世俗を超えた厳然空間を勝ち取りうるまで発展出来るのだろうか・・・。