アウトサイダーアート
人間の三大欲として良く言われるものに食欲、睡眠欲、性欲がある。それらはみんな人類が長らくこの地球上に生存するための必需欲として「神」から備わったものだろう。しかし本当に人間が人間らしいのはその欲求から派生した習性によってである。音楽を奏でる、絵を描く、文字を読む、物を作る、その他、これらは基は生存のための意思,感覚の伝達技術が発達してきたものである。そして現代においてはこれら派生した「欲」の占有率が、先の生存にとっての三大欲を上回るほど、極端にそのパーセントを上げる人間まで出てきている。いわゆる「オタク」などはその典型で、子供、大人を問わないゲームオタクから、会社、仕事オタク、フィギアオタク、その他よろずオタクブームである。ただこれは何も否定的な現象ではなく、一生懸命の裏返しなのである。言い方が違うだけで、ノーベル賞学者などは「超オタク」でもある。何かに没頭すること、している様は美しいものである。その魅力の源泉とは何だろう、それは常時の意識を超える境地、言い換えればトランス状態かも知れない、それをを覗きたい、覗けるかも知れない未知の魅力があるからなのだ。ピカソ等の天才などもその典型であるが、ここで取り上げたいのはアウトサイダーアートである。スイス、フランスなどから、その魅力、秀逸さの発見、見直し、に火がついたようである。何回か作品を見たのだが確かにすばらしい。
その尽きないエネルギーの発散模様は到底一般人にはまねが出来ない。ではなぜそれが美しいのかと考えた時、一番に思いつくのは無垢さであろう、この言い方は問題があるのかもしれないが、誤解を恐れずに言う。これは本来的に人間に備わっていた遺伝子である。子供のときの絵などがその典型なのは指摘するまでもないが、驚異的なのはやはりその「ひたむきさの持続」なのであろう。これが現代人には決定的に欠けてきた。ゆえにそうした芸術に触れると、あるいは発見すると余計に感銘の度を増し、人間が発展するために身に着けてきた技術にまったく反比例する情熱に感じ入るのである。一言で言えば合理主義を完全に凌駕していることに感動するのだと思う。考えてみると、建築バカという言い方もあるくらいで、建築家も一種のオタクかもしれない。だとしたら、現代の建築も、人々に、合理主義を超えた感動を与えられるほどのものとして、またせめて、それを作って見せれる「超オタク」人であるべきではないのだろうか。
オバマ おめでとう
2008/11/4(日本時間5日)は歴史的な日になった。アメリカの第44代次期大統領にバラク・オバマ氏が決まったのである。おめでとう、心からお祝いを言いたい。これは1863年のリンカーンの「奴隷解放宣言」に続く革命的な出来事である。また、近いところでは、1960年の今頃だから48年前になるが、ジョンFケネディー以来の魅惑的なリーダーの出現である。2001の9/11で始まったアメリカの21世紀は暗い幕開けであった。それを振り払うべく、現ブッシュ大統領が、がむしゃらに中東に怒りを向けた7年間であった。その是非が問われて久しい、またそれに輪を掛けるように昨今の世界的経済危機への陥り。その元凶が当のアメリカ自身だとなれば、これはもう言い逃れは出来ない。ブッシュの政治手腕が問われるのである。そうした歴史的タイミングからして、まさに彗星のごとく現れたニューリーダーであり、合衆国ならずとも全世界から注目と期待を集める「新時代の希望」である。今回のこの経済危機が、くしくもアメリカ一国支配の世界縮図の崩壊契機になり、対話と協調を主軸とする新時代への枠組み「チェンジ」が求められる時代になったのである。なんとエキサイティングなことだろう。大いにオバマ氏に頑張ってもらいたい。唯一祈るような願いがある。前述のケネディー氏の45年前の悲劇はどうか繰り返さないで欲しい、「良識ある国家アメリカ(国民)」に望むばかりである。
ユートピア 続
禅問答のようだが、ではなぜユートピアを求めるのかと問われたら、何処にもないからだと答える。これは幾多の権力者たちが、不老不死の食物を求めて家臣たちをそれこそ地の果てまで探しに行かせた話に通じるものがある。かつては、地の果てである「ジパング」もその格好の対象として、かの秦の始皇帝の命を受けた除福も熊野灘に上陸したという。何処にもない不老不死の薬草探しに躍起なるのは、無限の可能性に満ちていた近世までの世界観ならまだしも、世界が有限で資源の保有能力までわかってしまった現代ではさすがに信じる人はいないが、かろうじて金やダイヤモンドのような黄金探しの夢が続いているぐらいである。しかしここが人間である、そうとわかっていてもどこかでそれを探し求めているのだ、夢・・。
ここで肝心な建築史上でのユートピアを見てみよう。建築の世界では、前述からのユートピア観とは少し違うが、もう一つのユートピア的至福である天へのあこがれがある。ヨーロッパのゴシック建築はまさに宗教的天への憧れであり、それを始めとして、宗教色は脱色したものの、高さへの憧れはあちらこちらで見られる。サンジミアーノしかり、ニューヨークしかり、現在のドバイしかりである。いわゆる「世界一」という至福へのあくなき探求(欲望)は連綿と続いている。もはや人類は宇宙にまでに飛んでしまっているというのに地上何メートルにこだわっているのである・・・。
しかし、断言するが、何処まで高く昇ろうともユートピアはないのである。そうした合理的な数値で測られるところにユートピアを求めなくとも、目くるめくような世界探しに明け暮れなくても、実は、人間の魂までも揺さぶるような至福の空間が「優れた建築」にはあるのである。何しろ空間は少なくとも3次元的には無限の表現の可能性を秘めているのだから・・・。
とすればユートピアはすぐ身近にあるのである。建築家の使命もそれを作り出すことにあるのである。少し神経を研ぎ澄ましてそうした見方で建築を観てもらいたい。もしかしてそれが見つけられたら、まさにそこがユートピアであろう・・・。
ユートピア
トマスーモアのユートピアはどこかの(マダガスカル島という説もあるが・・・)無人島に漂流、漂着した一人の男が何十年もそこで一人ですごす、それからある時期が来て国(都会)に帰る話である(またそこから色々ドラマが繰り広げられるというものだがその後半はあまり覚えていない)。これは異郷へのノスタルジーに溢れた物語が興味を引くのだが、考えて見れば日本での浦島太郎伝説もそれにも通じるものなのだろう。ここまで極端ではないにしろ、これは何もそう特殊なことではなく、誰しもがどこかで経験する「旅行」というものがそれにあたる。その期間が長ければ長いほど浦島現象がきついだけで、旅行は何かの刺激をもたらす。環境の変化が、人間の思考回路の糸よりを揉み解すということである。付け加えれば、若者は良く旅行するが、これは未知への期待度が高いからで、年配者は旅行といってもほとんどが既成の観光旅行になってしまう。若者には旅行というよりもむしろ「旅」という言葉の方がイメージが合いそうである。人間にとってその経験、体験が血肉になるのだが、これだけグローバル化が進むとその感動も、もはや世界中のことをどこかで見聞きしているだけに多少和らぐのは否めないが。
しかし肝心なことはユートピアは何処にもないということ。勿論地理的なそれは、地上の楽園とか言われる地域があるぐらいだから一応はあるのだろう。しかしここで言うユートピアは概念上の観念の部分を含んだ、人間の社会環境としてのそれをさすとしたら、これだけ世界経済の一元化がますます進んだ世界ではそれはありえなくなっている。もう少し説明すれば、まずかの地での生活時代は、それはそれで色々一生懸命なのだから必死である、しかしそれが思い出に変わったとたん、懐かしさがこみ上げてくる、この思い出というものが概念的ユートピアと呼べるのだろう。ただ前提は、自分からの意思ではないのに戦争の犠牲になるというような体験は別であるということ。あくまでも浦島太郎伝説的経験がもたらす人間考察を土俵にしたものである。
極限すればユートピアは人間の「経験という行為への」イマジネーションと未来思考の中にしか存在せず、現実には存在しないということ。生生しく言うと、今の全世界経済危機になぞらえているのだが、これは人間というものが、時間の意識と、単なる生存欲を越えた欲望を併せ持つ限りありえないのである。
しかし、だからこそ人間は生きて行けるのかもしれないが・・・。
オープンハウス
かねてより工事を進めて参りました「伏見のHOKORA」がようやく完成を迎えようとしています。この建築は、超ローコストがゆえに使用材料のほとんどが、いわゆる建売仕様というものです。しかしながら、そうした過酷な与条件の中でも、いかに「建築」を作れるかが勝負どころでした。その結果はともかく、もし興味のある方がいらっしゃったらご連絡下さい。
日時 2008年9月27日
時間 AM10時〜PM5時
場所 京都市伏見区
担当 水野
マケドニア正教会
マケドニア正教会国際コンペに参加しました。
応募案の締め切りが3/24必着ですから日数が微妙なのですが、
何とか19日にぎりぎりの発送をしました。朗報期待します。
造形
ガウディーやゲーリーを持ち出すまでもなく、人間が、無謀にも唯一自然界に挑戦出来る、あるいは景観美を挑める情熱(技術)が造形力である。それは人間という動物が生命力を誇示する[術]として表出しうるエネルギーでもある。生命力がないときは造形欲が凪いでしまう。戦後の荒廃した日本、近くは阪神大震災時の、急ごしらえの復興建築のありようを見ればわかりやすい。バブル社会は確かに愚かしいが、こと建築、あるいは文明にとっては一概にもそうは言えないところがある。バブルとその生命力には共通する[因子]が存在しているからだ。たとえば、世界遺産を持ち出すまでもなく、時の権力,財力(バブル)の生命力は,得てして高く、高く(ニューヨークの摩天楼等)空へ向かう破天荒な傾向になるが、それらが後年人類史の中では、建築遺産として認知されるにいたることにもなるから、時代の流れとは「アイロニー」を争う場でもある。果たして21世紀型?バブル「ドバイの実験」はいかに・・・・。
ところが人間面白いもので、大きく立派な箱(物)を作れば作るほど、自分の有限性と内面性の葛藤を同時に抱えてしまう。天下人にまで上り詰めた秀吉の生ざまはまさしくそれの典型のようなものだから、逆に言うと永遠の反面教師として生きつづける。それは目に見えないものの価値を見出したときから始まる。自分は天下人である、しかし、その自分にどうにもひれ伏さない利休に対する嫉妬は尋常ではなかったのだろう。最後は命にまでメスを入れさせたのだから。
人間の心が向かう果ては、どちらの振幅にしろ自力では止められないのか。ほぼ100年ほど前のロシア激動時に見られる芸術運動にも、人間の生命力と知力の結晶が、タートリンとマーレビチという二人の芸術家の作品に対比的に現れる。人間の湧き上がる生命力を表現したタートリンと、逆に内面の審美へと限りなく沈降したマーレビチ。この二人による「究極の間」はロシアアバンギャルドが作り出した最高傑作といえるであろう。確かに、100年後の今日にも同様の状況が見え隠れするし、、またこれから先も、人間が抱える希望と絶望の体内時計として状況を刻む。
神秘
田舎育ちということもあり、夜空が好きである。この冬久しぶりに夜空を見上げた。田舎の夜は何にもなくて、いやが応にも星空が目に入るだけなのだが・・・。そもそも都会でいると夜空、それとも星空を見上げるというような気分になかなかならないもの(自分だけなのか?)。都会では、人々はみんな坂本九の歌のようには生きていない。都会人は星空を見上げる人種ではないのである。以前作品を発表(桂馬の家)した時、「1メートル四方の自由」というコメントをつけたことがある。その時のモチベーションの問題はともかく、都市社会のアフターファイブならぬほっとする瞬間のことである。暗闇で獲得できる?少なくとも自分の周囲1メートル四方の、つかの間の自由と孤独の占有感の話だったと思う。これは確かに、物理的な夜の空間と、心の空間が共振するがゆえに成り立つ、都市ならではのひとつの神秘空間かも知れない。
ただ、いずれにしてもそこでは両足で大地に立つという感じではない。「世界の中心・・」でなくても良い、どこか空気のいい、小高いところで星空を見上げてほしい。じっと見つめているといつの間にか自分が無くなりそうである。きらめく星達の中でまず目にするのはやはり北斗七星であるが、最近感じるのは、その北斗七星の形がどうも変化しているのではということである。宇宙時間からしたら、たかが何十年なんかは一瞬のはずなのだが、なぜか動いてるのである(気のせいか)。何十光年もの距離で、気の遠くなるような時間の流れの中、宇宙は少しづつ動いている。恒星と恒星間というよりも太陽系と何々系というレベルで動いている。意識的に星間の闇にじーっと目を凝らすと、またも吸い込まれるようにそこにも無限空間が広がる。確かに宇宙は無限だ。その中のどこかに地球と同じ様な生物がいるかもしれない。とすれば、そこから宇宙規模でグーグル的逆照射すると地球に行き着き、日本に行き着き、大阪のどこそこ行き着き、その中の一人に行き着く。しかし、そこからさらにその人の心を覗くと、ブラックホールのごとくそこから「精神」という無限の神秘世界が広がるのである。すごい。ただ実際目に出来るのはその前段階の「現前」、世俗的な人間模様だけだが。この宇宙の壮大なスペクタルの中、究極には、人間(人類)の最高の「作為」が建築物(建造物)だとしたら、建築こそミクロな心の宇宙の神秘とメガマクロな宇宙の神秘をつなぐ「神秘のアンテナ」として厳然たる存在でありうるのだろう。果たして現代のモダニズムは世俗を超えた厳然空間を勝ち取りうるまで発展出来るのだろうか・・・。
メキシコ 國際コンペ
メキシコ独立200年、革命100年記念コンペに参加しました。
締め切りは2月1日必着。航空便ということもあり早めに出そうということで、無事昨日作品の発送が終わりました。
基本的課題はモニュメントの建立ですが、公園を含めたその地域全体を見通し、野外劇場等も提案するというものでした。
メキシコには、だいぶ前ですが一度、ティオティワカンやモンテアルバン、パレンケ等の遺跡を見に行きました。そのためもあり、友人の建築家からその情報を聞いたとき即参加してみようと思いました。ただそれが昨年末だったので、いかんせん締め切りが迫っていました。いきおい「やっつけ」になりがちですが、スタッフはじめ良い協力者のおかげで何とか乗り切りました。これは二段階コンペで、ファイナリストに5人が選ばれます。朗報を待ちます。